久松警察署 管内概況 交番案内
犯罪抑止 交通事故 震災対策
管内概況
 
久松署の歴史
明治 8年 12月2日 警視庁第一方面第5署として設置
明治14年 1月14日 久松町警察署と改称
明治18年 7月 3日 久松警察署と改称
明治26年 4月 1日 日本橋警察署と改称
明治43年12月17日 久松・堀留・新場橋の三署に分かれる
昭和20年 5月17日 久松・堀留・新場橋の三署が統合、日本橋署と改称
昭和23年11月15日 再び久松署として日本橋署から独立、現在に至る
写真(大正時代の久松署)

 
 
久松署管内(平成29年1月1日現在)
管内面積 1.46平方キロメートル
管内人口 36,033人 (住民基本台帳)

 
 
《久松署ヒストリー》
小川巡査の殉職
写真(「小川橋由来」躇彰碑) 明治19年12月3日早朝、「馬喰町にピストル強盗」との訴えを受けた小川巡査は、現場に急行途中、目が見えないのに白い杖を持たない男と出会いました。不審を抱き職務質問をしたところ、いきなり隠し持っていた短刀で背、肩、腹などに重傷を負わされ、更にピストルで撃たれ、出血のため意識朦朧となりながらも男を追跡、格闘の末ピストルを奪い、応援に駆けつけた同僚の協力を得て男を逮捕しました。

 男は数年にわたって強盗80余件、5人を殺害し東京を恐怖におとしいれていたピストル強盗犯人でした。
 
 小川巡査は、この時に受けた傷がもとで、明治21年4月、24歳の若さでこの世を去りましたが、警察精神を体現したとも言うべきこの偉勲を記念するため、その当時、当署の脇にあった橋を「小川橋」と命名、昭和49年4月、警視庁、久松署創立100年を記念して、小川橋のあったところに顕彰碑が建立されました。
人助け橋
 大正12年9月1日、関東大震災で、新大橋一帯も猛火に包まれ、浜町一帯の住民1万数千人がわれ先にと、焼失を免れた新大橋に避難してきました。ところが、折からの強風にあおられた火が避難住民の携行した風呂敷包みや家財道具に飛び火して燃え上がり、その生命が危険にさらされました。

 このとき、避難者の誘導整理に当たっていました、6人の警察官は、このままでは全員が焼死すると判断、携行品を隅田川に捨てるように警告しましたが従うものがいなかったため、最後の手段として抜刀し、「従わない者は切るぞ」と警告したところ避難民も次々に荷物を隅田川に投げ捨てたため、全員が災禍から免れることができました。

 この警察官達の一身を顧みない勇敢な行動は「人助け橋」の物語として住民に語り継がれ、昭和53年3月、新大橋架け替え開通を機会に、管内住民の手によって6人の警察官の顕彰碑が、新大橋西詰に建立されました。
 
 
管内図
…防災拠点 …地域福祉避難所
このページのトップへ