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神田の街

  神田の街はいろいろな顔を持ちます。神保町の古本屋街は全国的に有名です。また、四つの私立大学が存在する学問の中心地でもあります。さらに、歴史ある街神田と様々な顔を見せてくれます。
そんな神田の街をご案内します。



地図


 
「出世不動尊」    千代田区内神田2-6
 JR神田駅西口から管内に入る出世不動通りの一角にあります。周囲は雑居ビルが立ち並んでおり、当不動尊の敷地は、わずか幅2・5メートル、奥行き6メートルです。正しくは「大日山東潮院」といい、1200年前に創建されたと言われます。俗に言う「出世不動」とは、相撲取りが信心すれば出世すると言い伝えられたことが始まりです。
出世不動尊 写真
 
「お茶の水」    千代田区神田駿河台2-3
 JR御茶ノ水駅西口を出ると、交番の脇にお茶の水の石碑があります。かつて順天堂病院のあたりにあった高林寺の境内に名水が涌き、2代将軍秀忠が鷹狩りの帰りに立ち寄ってお茶を飲みました。それ以来、将軍家御用のお茶の水にされたのが、お茶の水の由来です。
 その井戸は高林寺が駒込に移転した後も残っていましたが、1661(寛文元)年、幕府の命で伊達綱宗(政宗の孫)が神田川の拡張工事をしたことで川底に没してしまいました。
お茶の水石碑 写真
 
「ニコライ堂」    千代田区神田駿河台4-1
 正式には、「日本ハリストス正教会教団復活大聖堂」といいます。 日本ハリスト正教会を創立したニコライ大主教にちなんでニコライ堂と呼ばれるようになったそうです。
 関東大震災で被災しましたが、その後、改修され現在の姿となっています。白い壁とカーブを描くドーム屋根がオフィス街の中でひときわ目立っています。鳴り響く鐘の音も名物です。
ニコライ堂 写真

 
「三崎稲荷神社」    千代田区三崎町2-9
 創建は定かではありませんが、建久以前(1190〜99)、仁安の頃とも伝えられます。 幾多の変遷の後、明治38年現在の地に遷座されました。
 家内安全、商売繁盛を御利益としていますが、旅の安全、社運の回復にも御利益があります。
 三代将軍家光が参勤交代の制度を定めたとき、将軍自ら三崎稲荷神社に参拝したといわれます。それ以来、諸大名は参勤交代による江戸入り、帰参時には必ずこの稲荷神社に参拝し、道中の安全を祈り、心身を清めることが慣例となり、「清めの稲荷」とも呼ばれるようになりました。

三崎稲荷神社 写真
 
「東京大学発祥の地」    千代田区神田錦町3-18
 学士会館の現在の所在地が我が国の大学発祥地です。この建物の前に「東京大学発祥の地」の石碑が建っています。
 明治10年4月12日に神田錦町3丁目にあった東京開成学校と本郷にあった東京医学校が合併し、東京大学が創立されました。創立当初は神田錦町3丁目の地に設けられていましたが、大学は徐々に充実され明治18年までに文京区本郷への移転を完了しました。
東京大学発祥の地 写真
 
「神田古本屋街」     千代田区神田神保町1丁目・2丁目
 神保町は、古書店150店、新刊書店30店、出版社500社、在庫1,000万冊の世界一の書店街です。文学、法律、経済等をはじめ、古地図、雑誌、写真集など様々なジャンルの専門店があります。
 毎年、秋の読書週間には「神田古本まつり」が開かれます。
古本屋街 写真
 
「男坂・女坂」    千代田区猿楽町2-4(男坂)  千代田区猿楽町2-5(女坂)
 大正13年、政府による区画整理委員会の議決により作られたものです。
 「男坂」は非常に急な石段が直線的に下りていて、険しい坂となっています。
 男坂が一直線の急坂であるのに比べ、「女坂」は右-左 とクランク状に曲がり、途中で中休みできるように踊り場がやや広めにできています。男坂よりは上り下りが楽です。
男坂 写真 女坂 写真
 
「幽霊坂」     千代田区神田駿河台4-4
 以前は紅梅坂と一体になっていたものが、大正13年の区画整理で本郷通りができたために分断されました。
 人通りが少なく、淋しい道であったことに由来しますが、現在はビジネス街の中にあって幽霊の気配とは無縁です。
幽霊坂 写真
 
「夏目漱石石碑」    千代田区猿楽町1-1
 千代田区立お茶の水小学校の隣、猿楽通りに面した場所に立っており「吾輩は猫である」の有名な一文が刻まれています。何故ここにあるかと言うと、現在のお茶の水小学校は、かつて錦華小学校と呼ばれ、そこに夏目漱石が通っていたためです。
夏目漱石石碑 写真
 
「聖橋」    千代田区神田駿河台4-5
 その名前は、湯島聖堂とニコライ堂との二つの聖堂を結ぶ橋であることに由来します。印象的なアーチ形状をしています。写真は、お茶の水橋から下流の聖橋を撮った物です。都内有数の景観です。
聖橋 写真
 
「神田上水懸樋跡」    
 徳川家康の江戸入府と同時に、江戸の街づくりの為、飲料水の確保に努めました。多摩川から水道管を通して飲料水を確保したのです。上水は新宿、四谷、後楽園を通ってきますが、神田川の辺りは渓谷が深く、上水を神田川と立体交差させるために専用の橋を懸けて水を流すことにしたのです。
 現在は懸樋はありませんが、この跡地に碑があります。
神田上水懸樋跡 写真


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