| 碑文谷警察署>署の沿革・概況 |
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沿革 |
概況 |
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| 沿革 |
| 明治21年 |
碑衾村(ひぶすま) 誕生 |
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市町村制の実施に伴い、荏原郡のうち碑文谷村と衾村が合併し、「碑衾村」誕生
(合併当時 人口約3,000人)
※ 碑衾村が現在の碑文谷警察署の管轄区域 |
| 昭和 2年 |
「碑衾村」から「碑衾町」へ |
| 昭和13年 |
碑文谷警察署創設 |
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目黒警察署から分離して創設
庁舎は大正15年碑衾村役場として建設された鉄筋コンクリート2階建てを改修して利用、署員は108名
(当時 派出所 5ヶ所 駐在所 7ヶ所) |
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昭和13年 碑文谷警察署 |

昭和48年 碑文谷警察署 |
| 昭和48年 |
現在の庁舎落成 |
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敷地面積 2,053.50平方メートル
建物延面積 3,006.03平方メートル
鉄筋コンクリート 7階建 |
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| 概況 |
碑文谷警察署が管轄する地域は、武蔵野大地の東南部に位置する海抜30〜45メートルの「荏原台」の一部と、海抜25〜32メートルの「目黒台」と呼ばれている台地の一部からなっています。この台地の間に、呑川、立会川の二つの水系があり、これらの谷と支谷が台地を刻み、現在の丘陵が多い街を作っています。
管内は、東西に約3.4キロメートル、南北に約2.7キロメートル、面積は約7.5平方キロメートルで、中心付近を東西方向に目黒通りが、南北方向に環状七号線がそれぞれ通り、管内を大きく四つの区域に分断しています。
交通機関としては、東急東横線が管内を縦貫、同目黒線が管内の南部、同大井町線が管内の西部をそれぞれ走っており、幹線道路である環状七号線、目黒通り、駒沢通りにはバスも運行しているなど、交通事情の発展した便利な街です。
管内の人口は約13万人(平成24年1月1日現在、住民基本台帳より)で、東横線の学芸大学、都立大学、自由が丘の各駅周辺は飲食街で、特に自由が丘駅周辺は、東横線沿線では渋谷に次ぐ繁華街となっており、おしゃれな店が多く、都内での住みたい街No.1ともいわれ、土、日曜日には女性客が多数訪れています。この他は、管内北西地域は高級住宅の街並みが、また同南東地域には下町情緒あふれるにぎやかな街が広がっています。 |

碑文谷署 屋上から |
| 管内の名所としては、 |
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室町時代初期に造られた都内最古建造物(単層・入母屋造り、国の重要文化財)の釈迦堂がある 「圓融寺」 |
| ・ |
吉良家(世田谷城主)ゆかりの「東光寺」 |
| ・ |
ロマネスク式建築の聖堂で有名な「サレジオ教会」 |
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圓融寺釈迦堂 |

碑文谷八幡宮 |
・旧衾村の鎮守様である「氷川神社」
・旧碑文谷村の鎮守様である「碑文谷八幡宮」
などがあります。 |
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「碑文谷」という地名の由来は諸説ありますが、管内に所在する碑文谷八幡宮の境内に鎮座する稲荷社に、「碑文石」と呼ばれる碑文の書かれた「石」が所蔵されており、「碑文の書いてある石のある里(谷)」にちなんで「碑文谷」の地名が起こったという説が最も有力とされています。
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碑文石(碑文谷八幡宮) |
碑の上方、中央に「大日如来」、左右に「勢至観音」の梵字を刻し、高さ約75センチメートル、横約45センチメートル、厚さ約10センチメートルの板碑です。
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