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| 地図上の○数字から、各項目にリンクしています。 |
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荻窪の地名は、環八と中央線が交差する地点にある慈雲山萩寺光明院の縁起に由来しています。
その縁起は、‘荻の群生する窪地’の意で、奈良時代の和銅元年(708)、旅の修行僧が観音像を笈(おい)に入れて背負い、この地まで来たところ、あまりの重さで歩くことが出来なくなった。
修行僧は、この観音像はこの地に縁があるのではと思い、付近一帯に自生していたオギを刈り取って草堂を作り、観音様を安置し草堂 を荻堂(荻寺)と名付けました。
この荻堂が、現在の「光明院」です。また、荻窪駅は明治24(1891)年12月、杉並区最初の駅として開設されました。甲武鉄道開業時は、新宿〜立川間は、中野・境(現・武蔵境)・国分寺の3駅だけでしたが、中野〜境駅間は距離があり、その間に駅が必要とされたのです。
荻窪駅開業の翌年、正岡子規が内藤鳴雪と旅行をしたときの歌があります。
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荻窪や 野は枯れ果てて 牛の声(内藤鳴雪) |
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汽車道の ひとすじ長し 冬木立(正岡子規) |
歌からも、当時の情景を彷彿させます。 |
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| 大正時代の神明橋付近の善福寺川(左が城山、右が荻窪八幡の森)(署史から) |
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上の写真は、善福寺川が神明橋の下流で南方に大きく流れを変えている様子から、光明院の西方、中央線北側から撮影されたものと推測されます。
善福寺川の流域は、周りよりやや低くなっており、荻窪と呼ばれたイメージがそれとなく分かります。 |
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荻窪警察署が所在する「杉並区桃井」は、昭和39年の住居表示変更により、三谷(さんや)町・宿(しゅく)町・中通町・清水町・沓掛町の各一部を併せて「桃井」となりました。
桃井は、桃井小学校から生まれた地名ですが、桃井小学校は、明治8年「第九公立中野桃園学校」の二番分校として薬王院内に開校した警察署隣の「桃井第一小学校」のことです。
校名は分校から翌年独立するとき、桃園の桃と遅野井の井を合成して、桃井学校と命名したそうです。
つまり、桃井の発祥は薬王院ということになりますが、薬王院は青梅街道に面し、桃井第一小学校の前にあります。 |
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| 警察署屋上から見た桃井第一小学校 |
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天沼は3丁目23番にあった弁天池で、最近まで埋め立てられて西武鉄道の敷地でしたが、東京都に払い下げられ、平成19年4月公園として生まれ変わりました。
天沼は、かつて桃園川の水源で池畔に祀られていた弁天様の、ご本体は八幡神社の境内に移されています。 |
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今川の地名の始まりは、「宝珠山観泉寺」にあります。
桶狭間の戦いで織田信長に破れた今川義元の子孫は、後に徳川幕府の高家となり、井草村・鷺宮村・中村3ヶ村500石を知行地としました。
正保二年(1645)、大名格式の陣屋を青梅街道沿いに開いたのですが、実禄2千5百石では維持することが出来ず、宝永四年(1707)破却して農地にしてしまいました。その面積が8町歩あったので、「八町」の地名が残り、現在も青梅街道に「八丁交差点」等に名を残しています。
なお、今川家は明治に入り衰亡して絶え、墓所は東京都が管理しています。 |
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| 宝珠山観泉寺 |
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| 参考記載 |
1町は |
917.36平方メートル |
十反歩 |
3000坪 |
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昭和7年の町名改正で新しく生まれた町名です。
元は、下井草村沓掛の一部でしたが、住居表示変更で、桃井1丁目、清水1・2丁目の一部となりました。大正末期から昭和初期の区画整理以降宅地化が進み、井伏鱒二らの文士、文化人が多く移り住んでいます。
清水の地名は、この付近に湧水があったからで、清水の旧家・井口家には、現在も井戸が保存されています。
また、清水は、井口家の屋号だったそうです。 |
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| 清水の旧家井口家(署史から) |
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女子大通りに面した「地蔵坂地域安全センター」近くに地蔵坂があります。
坂の南(西荻北4丁目)に、北向地蔵を祀った地蔵堂があったことから「地蔵坂」と呼ばれています。
また、地蔵坂地域安全センターの後方の榎本家は、江戸時代、将軍が鷹狩の際にお立場(休息所)となったので「御立場坂」と呼ばれていたそうです。なお、北向地蔵を祀った地蔵堂は、現在は観泉寺に移されています。 |
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| 観泉寺に移された地蔵堂 |
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荻窪五丁目交番の裏手、荻窪5丁目4番先の善福寺川にかかる「忍川橋(おしかわはし)」、正しくは「しのびがわばし」だそうです。
「忍び」とは忍者のことで、下荻窪村は服部半蔵の領地、上荻窪村は忍び同心8人の領地でした。
そこから、忍びの者の住む谷戸であり、忍びヶ谷戸(しのびがやと)が転じて「忍び川」(しのびがわ)となったそうです。
近年、この「忍川(しのびがわ)」を「おしかわ」と読む人が多くなり、「忍川橋(おしかわはし)」が通称名となったそうです。 |
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| 荻窪五丁目交番方向から見た忍川上橋 |
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青梅街道と環八通りが交差する地点を、四面道交差点と呼んでいます。
土地の人は「しめんと」と発音するのは、元は交差点に「四面塔」があったからです。四面塔は十字路の南側にあった秋葉神社の灯籠(四面塔又は四面灯籠)のことで、そこから「四面塔の辻」と言われていたそうです。
四面灯籠が撤去された後、いつの頃からか「塔」の字が「道」になって定着してしまったそうです。
この秋葉神社の四面塔は、荻窪警察署前の荻窪八幡神社の境内に移転しています。 |
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| 移転された四面塔 |
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管内を北西から南東にたすきがけに走る青梅街道は、慶長11年(1605)に大久保石見守長安が、青梅の成木・小曾木の石灰を江戸城の白壁材料にとして運ぶために、成木街道を整備して開設されました。
甲州街道より2里短く、関所がなくて歩きやすことから「甲州裏街道」とも呼ばれたそうです。
大正10年に、新宿・荻窪間に路面電車が開通し、更に、この電車は昭和17年には都電杉並線となったのですが、青梅街道の地下に営団地下鉄荻窪線(現・丸の内線)が昭和37年に開通したことに伴い、昭和38年廃止されています。 |
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| 荻窪警察署前付近の青梅街道 |
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管内中央を縦に分断するように、環八が走っています。
正式名称は、東京都道311号・環状八号線のことで、一般に「環八」と呼ばれています。交通量が多く慢性的な渋滞は都内でも屈指です。
管内にある「井荻トンネル」は、西武新宿線の踏切による渋滞を解消のために作られましたが、トンネルが約1キロと長いため、西武新宿線との交差部分には側道通行用の陸橋が架けられています。
西武新宿線の井荻駅付近を、環八本線がトンネルでアンダーパス、環八側道車両用は陸橋でオーパーパスする形になっています。 |
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| 井荻トンネル |
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青梅街道を挟んで、荻窪警察署の向かい側が荻窪八幡神社で、祭神は応神天皇です。
旧・上荻窪村の鎮守で寛平年間(889-897)の建立と伝えられています。
永承6年(1051年)源頼義が奥州征伐の戦勝祈願をしたという故事にならって、文明9年(1477年)太田道潅が、石神井城攻めの戦勝を祈願した際に植えた槙の木が500年の歳月を経た今「道潅槙」と呼ばれ、御神木として保護されています。
現在の木は、親木の根元から出た若木が生長したもので、親木が枯れて現在の姿になったそうです。 |
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| 荻窪八幡神社 |
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善福寺交番の隣に所在し、青梅街道に面しています。祭神は応神天皇です。
古くは南に善福寺川の清流を望み、中世初頭まで宿駅として、また交通の要衝として栄え、今なお「武蔵野」のおもかげが残る秀麗の地に鎮座し、古地名を冠して「遅野井八幡宮」とも呼ばれていました。
善福寺川の源泉である、善福寺池が豊富な湧水池であったことから、この附近にはかなり昔から人々が生活していたと想像されます。 |
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| 井草八幡宮 |
また、境内及び周辺地域からは、縄文時代(約4千年前)の住居址が発見されたほか、多くの土器や石器が発掘されています。宮は、創始当時は藤原氏の氏神春日神(鹿島神)を奉祀していましたが、源頼朝が奥州征伐のとき戦勝祈願し源氏の氏神八幡神を合祀して以来八幡宮が主体となり、春日社は次第に末社に追いやられてしまったようです。
文明九年(1477)には、太田道灌が石神井城の豊島氏を攻める際に、戦勝を祈願したという逸話もあります。 |
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今川2−16−1に所在する曹洞宗宝珠山観泉寺は、今川氏のゆかりのお寺です。
今川氏は清和源氏の流れで、治部太夫義元の代には、駿河・遠江・三河を統一し、天下に号令しようとしましたが、永禄三年(1560)桶狭間の戦いで織田信長の奇襲を受けて討死しました。その後、義元の子は3ヶ国を維持できず、同12年(1569)領国を武田・徳川・北条らに奪われて滅亡しました。 |
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| 観泉寺 |
子孫は代々高家として江戸幕府に仕え、上・下井草・鷺宮などを所領に持ちましたが、明治時代に絶家し、現在、都の旧跡として維持管理は都が受け持っています。
また、境内には今川家累代の墓所があります。 |
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善福寺公園は東京都建設局所轄の都立公園で、都民の憩いの場となっています。
北南に二つの池があり、池を中心に、憩いの場として整備され、公園としては昭和36年に開園しました。
井の頭池・石神井池と並び武蔵野三大湧水池として知られていますが、善福寺池は善福寺川の水源であるほか、東京都水道局杉並浄水所の水源になっています。
因みに、23区内で、井戸が水道の元になっているのはここだけだそうです。 |
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| 善福寺公園の善福寺池 |
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