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荻窪警察署管内のなぜ

 街並みや建物、地理、地形等をよく観察すると、「なぜだろう?」、「どうしてなの?」と、疑問に思うことに出逢うものです。ここに掲載した「荻窪署管内のなぜ?」は、普段は見過ごしてしまいそうなことを、少しだけ掘り下げて調べてみました。

1 JR荻窪駅が高架化計画から外されたのはなぜ?
2 桃井小学校(1〜5小)が町名と一致しないのはなぜ?
3 上井草駅前交番前でガンダムが立番しているのはなぜ?
4 地蔵さんは何処にもないのに地蔵坂と呼ぶのはなぜ?
5 管内で天沼地区だけが基盤整備されていないのはなぜ?
6 管内にJR駅2駅、西武線3駅がうまく配置されているのはなぜ?
7 JR荻窪駅4番線ホームの西側に大きな鏡があるのはなぜ?
8 JR中央線で直線区間(中野〜立川)が長いのはなぜ?
9 日産スカイラインは荻窪生まれといわれるのはなぜ?
10 空襲で、荻窪、武蔵野界隈がいち早くねらわれたのはなぜ?
11 JR荻窪駅4番線ホーム東側に草が茂ったままにしてあるのはなぜ?
12 荻窪1〜3丁目の署境が複雑に入り組んでいるのはなぜ?
13 荻窪・杉並界隈にアニメーションの会社が多いのはなぜ?




1 荻窪駅が高架化計画から外されたのはなぜ?
 中央線の高架化計画は、昭和32年に開始されたのですが、天沼陸橋が2年前の昭和30年に荻窪駅近くに完成し、天沼陸橋が高架化工事の邪魔になったのです。その後、国鉄からJRに変わっても、区や地元と幾度も検討されたようですが、経費や技術上の問題で断念したとのことです。因みに、天沼陸橋は、完成目前の昭和19年12月3日の米軍の空襲で破壊され、工事を再開したのは昭和23年で、完成は昭和30年でした。

  戦前、天沼陸橋の完成を急いだ理由は、荻窪警察署北側にあった零戦等のエンジンを造っていた中島飛行機工場への軍需物資の輸送でした。これが時代が変わり、高架化の妨げになるとは歴史の皮肉というほかありません。ただ、この付近では、道路から歩行者目線で走る電車を観察することが出来、鉄道ファンには格好の場所のようです。また、荻窪駅東寄りの緊急用踏切は、旧青梅街道の名残で、今では珍しい存在になっています。
天沼陸橋と緊急用踏切
天沼陸橋と踏切
手前は荻窪駅

2 桃井小学校(1〜5小)が町名と一致しないのはなぜ?
 管内には、桃井と頭に付く小学校は桃井第一小学校から桃井第五小学校までありますが、町名と一致するのは桃井第一小学校だけです。

 理由は、旧・井荻町当時創立の小学校は、全て桃井第一小学校(桃井2-6-1)から分かれたからだそうです。昭和3年に桃二(荻窪5-10-2)、桃三(西荻北2-10-7)が開校、昭和7年桃四(善福寺3-3-5)が開校、昭和9年に桃五(下井草4-22-4)が桃井一小分教場から独立して現在の配置となっています。

 因みに桃井第一小は、明治8年学制により「公立桃園学校第二番分校」として、上井草村49番地、薬王院内の薬師堂を仮校舎に開校、同9年独立して「桃井学校」と改称しています。校名は桃園学校の「桃」と上井草村の「井」を組み合わせて名付けたと言われています。 
桃井小学校1〜5

3 上井草駅前交番前でガンダムが立番しているのはなぜ?
 一見すると、交番前でガンダムが立番しているように見えるこの写真は、上井草駅前商店街が中心となり、西武新宿線上井草駅前に平成20年(2008)3月23日に設置されたものです。

 西武新宿線上井草駅周辺には、多数のアニメ関連会社が集まっていますが、商店会では“アニメの街かみいぐさ”のシンボルとして、ガンダムの記念オブジェの設置を求め、杉並区に要望書を提出し受諾され、西武鉄道が設置場所を提供し、株式会社サンライズ(上井草2-44-10)の協力を得て完成したものです。

 ガンダムの足下には「さい銭箱」が置かれはじめ、時には手を合わせる人もおられ、ガンダムも神様になったかのようです。
機動戦士ガンダム

4 地蔵さんは何処にもないのに地蔵坂と呼ぶのはなぜ?
 名称の由来は、かつて坂の途中に地蔵堂があり、地蔵菩薩や庚申塔、馬頭観音などが祀られていたことにあります。
 この地蔵堂は、昭和50年頃にマンション建設に際して、観泉寺(今川2丁目18番)に移転され安置されています。

 地蔵堂には享保17年(1732)銘の地蔵菩薩があるところから、江戸時代中期以降と考えられます。また、地蔵菩薩は北を向いていたところから「北向地蔵」とも呼ばれていたそうです。他には、貞享2年(1685)銘、宝永2年(1705)銘、正徳6年(1716)銘の庚申塔、文政7年(1824)銘の馬頭観音などがあります。この馬頭観音には、「東江戸・西ふちゅう」と彫られており道標の役目をしていたようです。
地蔵坂

5 管内で天沼地区だけが基盤整備されていないのはなぜ?
 荻窪署管内は、右地図の井荻村の地域に天沼村を加えた地域を管轄区域としています。

 詳細な地図で杉並区の街並みを観察すると、旧・井荻村一帯(杉並区の北西部)の道路は比較的整然と区画されていることが分かります。これは、内田秀五郎氏(大正15年7月に町制施行、井荻町長に就任)のもとで幾多の難問に遭遇しながら昭和10年に竣工した井荻町の区画整理事業の成果です。
 
 天沼地区(旧・杉並町)は、迷路状の道が多く見られるのとは対照的です。区画整理の総面積は888ヘクタールで、単一町村独自で行った事業としては、例をみない大規模なものでした。善福寺池畔には、内田秀五郎元町長の立像が立てられ、その功績が讃えられています。
杉並区の旧20ヶ村

6 管内にJR駅2駅、西武線3駅がうまく配置されているのはなぜ?
 明治22年開通した甲武鉄道(現在のJR中央線)には、杉並界隈に停車駅は無かったのですが、まず明治24年荻窪駅が開設され、続いて西荻窪駅は大正11年、内田秀五郎村長の強力なリーダーシップが実って、阿佐ヶ谷・高円寺駅とともに開設されました。
 
 次に、昭和2年には高田馬場〜東村山間に西武鉄道、村山線(現・西武新宿線)が開設されましたが、当初は、井荻村では井荻駅だけが計画に入っていましたが、内田秀五郎村長は三駅(下井草・井荻・上井草)の設置を条件に働きかけ、実現したと言われています。
駅の配置図

7 荻窪駅4番線ホームの西側に大きな鏡があるのはなぜ?
 荻窪駅の4番線ホーム西側の向かい側の壁に、約縦1m×横2m大のステンレス製の鏡が設置してありますが、これは、「自分の姿を写して、自殺を思いとどまらせたい」という目的で設置されています。

 JRでは荻窪駅以外でも、人もまばらで薄暗く感じられるホームには、センサーや柵の設置、床や壁面の色を白系に明るく塗り替えるなど、自殺を思いとどませる工夫をしているようです。
 ホームの端辺りにたたずみ、電車を何本もやり過ごすような人を見掛けましたら、一声かけるか、駅員さんにお知らせしたいものです。
荻窪駅の鏡

8 JR中央線で直線区間(中野〜立川)が長いのはなぜ?
 中央線の直線区間(中野〜立川)の距離は約22.74キロメートルです。(平成27年10月現在)

 中央線の路線は当初、人口が集中した甲州街道か青梅街道沿いの、利用客が見込まれる路線が検討されていました。
中央線の直線区間
 しかし、杉並界隈の旅籠経営者を中心に、「鉄道が通ると旅人が街道を歩かなくなって宿場町がさびれる」と声を上げたことや、煙と騒音を撒き散らす蒸気機関車(陸蒸気「おかじょうき」と呼ばれた)の農作物への影響を懸念し反対運動の結果、両街道を大きく外れた、武蔵野の雑木林の中を西に向かって直線で伸びる路線となったのです。

 停車駅も明治22年の開通当初は、新宿〜立川間に、中野、武蔵野(現在・武蔵境)、国分寺の3駅しか無く、鉄道が主役の時代に入いると、荻窪や杉並界隈の住民は駅まで距離があり不便を強いられました。
 鉄道の重要性に気付いた住民の嘆願により、明治24年に荻窪駅、次に大正11年に、西荻窪、阿佐ヶ谷・高円寺駅が開設されたものの、杉並区内に急行電車の停車する駅はないなど、不便は現在も続いていると言われています。

9 “日産スカイラインは荻窪生まれ”といわれるのはなぜ?
 荻窪警察署北西に平成12年まであった日産自動車の前身、プリンス自動車工業は、零戦などの戦闘機エンジンを造っていた中島飛行機と立川飛行機の流れをくむ自動車メーカーでした。
 戦後、航空禁止令により航空機生産が出来なくなると、多くの航空技術者が荻窪事業所に集まり、当時の最先端技術の粋を集め、数々の名車を開発しています。
 特に、日産のシンボル車的存在のスカイラインは、試作第1号車は昭和31年(1956)年に完成していますが、設計、デザインは荻窪事業所の開発グループが担当したそうです。
  「スカイライン」の名称は、昭和30年に開発グループが志賀高原から草津へ向かう途中、青空に映える山並みの美しさから思いついたと言われ、国産車の名称が当時から続いているのは、「スカイライン」だけだそうです。
初代スカイライン写真
昭和32年4月、
初代 プリンススカイラインSLSH-1型

10 空襲で、荻窪、武蔵野界隈がいち早くねらわれたのはなぜ?
 太平洋戦争当時、米軍による日本空襲が本格的に始まったのは、昭和19年(1944)11月からでした。米軍はサイパンを占領し本土空襲が可能になると、最初に目標になったのは、武蔵野市緑町一帯の中島飛行機武蔵製作所(現在の都立武蔵野中央公園『通称・はらっぱ公園』)や、荻窪の中島飛行機荻窪製作所(現在、はらっぱ公園等)、群馬県太田市の中島飛行機太田製作所(現、冨士重工)等でした。
 その理由は、各地の中島飛行機工場は、陸軍の「隼」「呑竜」「疾風」、海軍の「月光」「天山」「彩雲」、そして「零戦」(機体は三菱重工業製)のエンジンは中島飛行機荻窪事業所製など、軍用機の生産拠点だったからです。
 開戦当初から、中島飛行機製戦闘機の高い性能に悩まされ続けた米軍としては、いち早く攻撃し壊滅させたい場所だったのです。

 武蔵野市の武蔵製作所は計10回の空襲で壊滅し、戦後は米軍施設として接収され、現在は都立武蔵野中央公園となり、荻窪製作所は日産プリンス〜日産自動車に転身しましたが、現在は「はらっぱ公園」や住宅施設に模様替えしています。
 因みに、荻窪、武蔵野のいずれの跡地も“はらっぱ公園”と呼ばれているのは面白いことです。
かつての中島飛行機 荻窪製作所
中島飛行機 荻窪事業所
(手前は青梅街道)

11 荻窪駅4番線ホームの東側に草が茂ったままにしてあるのはなぜ?
 荻窪駅4番ホーム新宿寄りの線路脇に、2坪ほどの広さに草が生い茂り、一見放置されたような場所がありますが、ちゃんと意味のある場所です。
 そこには「荻」が茂ってあり、荻窪の地名の由来を伝えている貴重な場所です。
 荻窪の地名は“荻の群生する窪地”の意で、環八と中央線が交差する地点にある慈雲山萩寺光明院の縁起に由来しています。
 その縁起は、奈良時代の和銅元年(708)、旅の修行僧が観音像を笈(おい)に入れて背負い、この地まで来たところ、あまりの重さで歩くことが出来なくなった。
 修行僧は、この観音像はこの地に縁があるのではと思い、付近一帯に自生していたオギを刈り取って草堂を作り、観音様を安置し草堂 を荻堂(荻寺)と名付けました。この荻堂が、現在の「光明院」です。
 また、荻窪駅は明治24(1891)年12月、杉並区最初の駅として開設されましたが、荻窪駅開業の翌年、正岡子規が内藤鳴雪を誘って旅行をしたときの歌があります。
   荻窪や 野は枯れ果てて 牛の声(内藤鳴雪)
   汽車道の ひとすじ長し 冬木立(正岡子規)
 歌からも、のどかな当時の情景を彷彿とさせます。
ホームから見た荻と看板
荻窪駅4番ホームから見た荻

12 荻窪1〜3丁目の署境が複雑に入り組んでいるのはなぜ?
 JR荻窪駅南側に位置する「荻窪1〜3丁目」は、荻窪署と杉並署の署境が複雑に入り組んでいます。これは、昭和44年当時、旧住居表示から現住居表示に移行する際、戦前から続く町会内や近隣との付き合いが、後から設定した住居表示より優先したことが理由です。

  現在の「荻窪1〜3丁目」は、昭和44年まで「旧・荻窪1〜3丁目」「旧・東荻町」「旧・西田町1丁目」に分かれていた地域で、「旧・西田町1丁目」は杉並署の管轄でした。

 この「旧・西田町1丁目」が、現在の「荻窪1〜3丁目」に振り分けられ、この地域がどちらの警察署の管轄に属するかを検討した際、「旧・西田町1丁目」が全て杉並署、「旧・荻窪1〜3丁目」「旧・東荻町」の地域は全て荻窪署管轄としたことから、細かく分かれる結果になったのです。

 警察署サイドとしては、せめて“丁目単位”の署境を期待したことでしょうが、地域住民の結束の強さが、現在の管轄区域の形になったと見ることが出来ます。

 新規転入者の方々が車庫証明手続きをする際や、事件・事故の通報時に迷われることがあるようですが、このような事情があったことをご理解下さい。


         「署境一覧表」にリンク
杉並署との署境地図

13 荻窪・杉並界隈にアニメーションの会社が多いのはなぜ?
 管内には、アニメスタジオが多く見受けられますが、特に西武線沿線に集中しているようです。アニメの制作は、原画、動画、背景、セル彩色などと各部門毎にスタジオが分かれているそうですが、業務の効率、受注等の利便性から、大手スタジオの近くに下請けのスタジオを構えることが多く、この沿線に集中したと見ることができます。

 荻窪警察署前には、「杉並アニメーションミュージアム」という区の施設がありますので、「なぜ、杉並区がアニメに力を入れているか」と取材してみますと、国内にある約600のアニメスタジオのうち約70(荻窪署管内に約30)が杉並区にあり、区としては地場産業育成のために「アニメ係」を設置して、「杉並区アニメ匠塾」を開設するなど積極的に支援しているそうです。
 
 ただ、隣接の中野、練馬区などにもアニメスタジオ多く見受けられ、所在地から分析しますと西武線沿線に集中していることが分かります。更に、西武線沿線になぜ多いのかと調べますと、かつて、手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石ノ森章太郎、ちばてつや、松本零士ら漫画家の巨匠達(アニメ原作者)がこの沿線に居住していたことにあるようです。

 また、「漫画の巨匠達が、なぜこの地域に集中して居住するようになったのか?」も疑問ですが、この調査は次回にいたします。
杉並アニメーションミュージアム
杉並アニメーションミュージアム
 杉並区上荻3-29-5 杉並会館3F
03-3396-1510
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