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管内の豆知識


立川の地名のこと
 立川の地名がいつ頃付けられたか判然としないが、鎌倉時代末期に豪族武蔵七党の一族「立河氏」が立川の地に住み、その子孫が近郷を併有して現在の普濟寺(1353年、立河二郎宗恒が建立)の寺地に城を構えて土着したところから、「たちかわ」の地名になったと言われている。
 立河氏は1590年、主家の北条氏照の居城八王子城が、豊臣軍によって陥落すると、立河氏も主家とともに没落した。柴崎町の普濟寺前には、鎌倉街道の跡と言われる古道が残っているが、南北朝時代から室町時代にかけて、この古道を挟んで人家が並び鎌倉街道の渡津として栄えた。

国立の地名のこと
 国立の地名は、大正15年にJR中央線の国分寺駅と立川駅の間に、新駅を設置する際に国分寺の「」と立川の「」を一文字づつ取って、「国立」と名付けたと言う。
 名付けは、現・西武鉄道の祖「堤康二郎」と言われ、まだ山林地帯であった中央線南部一帯に、理想的な学園都市をつくるための開発が進められ、次第に整然とした街路が造られ現在に至っている。文教面では、大正15年東京音楽学院(後の国立音楽大学)、昭和2年東京商科大学(後の一橋大学)が誘致されるなど、教育施設が相次いで建設され、昭和26年には建設大臣から「文教地区」として指定された。

立川飛行場のこと
 立川飛行場は大正11年完成と同時に、「陸軍飛行第五連隊」が岐阜県から移転し、軍民で共用されており、大正から昭和初期にかけて、日本唯一の国際空港として利用されていた時期がありました。
 昭和8年に羽田飛行場に国際空港が移転後は、飛行第五連隊の飛行場として、帝都防衛の主要基地でした。
 昭和20年の終戦後は、同年9月13日から米空軍基地として使用されていましたが、昭和52年日本に返還されています。返還後は、陸上自衛隊東部方面隊、昭和記念公園、広域防災基地等に分割され、現在も重要施設の建設が進み、大きく変貌しようとしている地域です。
 因みに、立川警察署は旧飛行場の滑走路付近に建設されています。                   
立川飛行場は日本初の国際飛行場だった
立川飛行場写真
基礎工事中の立川警察署 (写真中央、平成3年頃)

隼戦闘機のこと
 隼戦闘機の半数は立川で作られたといわれています。
 
 零戦は海軍機ですが、陸軍が採用したのは一式単座戦闘機「隼」で約5千8百機製造されています。そして、その半数が立川飛行場に隣接した立川飛行機(株)製だったといわれています。
 なお、加藤隼戦闘隊とは、太平洋戦争当時、南方戦線で活躍した加藤建夫陸軍中佐率いる「陸軍飛行第64戦隊」の通称名ですが、加藤建夫隊長は立川飛行第五連隊から戦地に出発しています。
 また、飛行第64戦隊歌(通称・加藤隼戦闘隊の歌)「エンジンの音/轟々と/隼はいく/雲の果て」の作詞者田中林平准尉も立川に住んでいたそうです。

谷保(やぼ)天満宮のこと
 湯島、亀戸と並んで関東の三天神と呼ばれ、菅原道真を祀った最も古い由緒正しい神社である。始まりは、道真が太宰府に流されたとき、三男「道武」は谷保に流されたが、父を慕いその面影を木像にしたものが御神体として、903年府中辺りに建立された。今の場所には1181年に移したという。なお、谷保天神はやぼと濁るが、谷保駅はやほと濁らない。
  また、谷保天満宮は「野暮天」の語源で知られている。
  由来諸説はいくつかあり・・・
 道真の像を彫った三男は彫刻に関しては素人で御神体が不細工、つまり野暮なので、野暮天(神)といわれた。
 昔、財政危機に陥った谷保天神は、10月(神無月)、目白で御神体を公開し賽銭を集めたという。それを狂歌師、蜀山人が・・・
神ならば 出雲の国へ 行くべきを 目白で開帳 ヤボの天神
と歌い広まった。など・・・

 
立川駅北口交番前の「若山牧水歌碑」のこと
立川駅と千本桜
立川駅北口交番前に、 立川駅と千本桜画
立川の 駅の古茶屋 さくら樹の もみぢのかげに 見送りし子よ
の歌碑がある。
 この歌は、明治39年牧水22歳の学生のとき、奥多摩へ行く途中に立川に立ち寄ったときに詠んだとのこと。歌碑は立川市制10年を記念し昭和25年に建てられたもので、碑面の文字は喜志子夫人による。 
牧水は宮崎県東郷町出身で、
白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよう
幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく
馬場吉蔵画
  など、43年の生涯に約8千7百首を詠んだ。
 立川との縁は深く、長男・旅人は昭和22年9月立川市富士見町2丁目に移り住んでいた。また、多摩モノレール「柴崎体育館駅」南側の根川緑道「詩歌の道」には、牧水の
多摩川の 浅き流れに 石なげて あそべば濡るる わが袂かな
 喜志子夫人の
ひとりゐは あさこそよけれ わか竹の 露ふりこぼす かぜにふかれて
 長男・旅人の 
霧にこもれる 多摩川いつか雨となり 芽ぶく楊も ぬれはじめたり
の歌碑もある。

昭和天皇記念館の高野槙(コウヤマキ)のこと
 平成18年9月6日ご誕生の、文仁親王殿下の第一男子は、9月12日の命名の儀において秋篠宮悠仁(ひさひと)親王と御命名になり、高野槙(コウヤマキ)が御印(おしるし)とされました。

 なお、昭和天皇記念館の記念館口(南北通り沿い、警察署近く)に、3本の高野槙が平成17年の開館当時から植樹してありましたが、この木が御印にされたことは偶然のことのようです。

 この高野槙の、成長を見守りたいと思います。

                    
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